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	日時    2023年10月29日(日曜日)13時〜16時30分
	場所    くまもと県民交流館パレア10階パレアホール
	主催    九州文化財研究所
	後援    熊本県・熊本県教育委員会・熊本県文化財保護協会・熊本日日新聞社・RKK
	(熊本放送)・熊本史学会・熊本歴史学研究会
	





<主催者挨拶>

 本日は、弊社の創立30周年シンポジウムにご参加をいただき、ありがとうございます。
 私どもは埋蔵文化財発掘調査をはじめ、城跡や寺院等の史跡調査や保存活用計画の策定など、貴重な地域の歴史を掘り起こし、護り育てる仕事を行って参りました。
 30年という長い歳月、この仕事を続けて来られましたのは、ひとえに地元自治体の教育委員会など文化財関係者をはじめ、地元の歴史を愛する皆様方のご厚情、ご支援があったからこそと感謝しております。
 弊社が創立以来目指して来たのは、業務の質、専門性の高さであり、歴史学や考古学を専攻した優秀なスタッフを揃えるとともに、最新鋭機材を駆使した業務の実施に努めて参りました。
 今後も学術・技術の両面から業務の信頼と実績をさらに積み上げ、文化財を総合的・学際的にプロデュースできる企業として、熊本・九州に根付いた企業活動を続けて参ります。
 また、歴史や文化財は国民共有の財産であり後世に渡って護っていくべきものという理念の基、講演会等のメセナ(芸術・文化の支援)活動にも力を入れていきたいと考えております。
 今回のシンポジウムはその一環でもあり、テーマは「関ヶ原合戦」です。日本の歴史上の大きなターニングポイントになった合戦ですが、今回は九州の大名にフォーカスしております。超一流の研究者にご登壇いただき、新たな視点から研究成果をご披露いただけるかと存じます。盛秋の一日、歴史ファンの皆様にお楽しみいただければ幸いです。

令和5年10月29日

九州文化財研究所
代表取締役社長 真崎 伸一



<開催趣旨>

 関ヶ原合戦は、最終的に軍記物や編纂史料による叙述の「東軍」「西軍」に二分割されて戦闘に突入した場面が強調されているため、未だに二項対立論的に理解されています。これは、九州における諸大名での戦闘にもいえることです。
 「東軍」「西軍」という呼称は、当時のものではなく、元禄11年(1698)に書かれた『石田軍記』が初見で、関ヶ原合戦から約100年後に使われるようになった言葉なのです。この区分が一般化していったため、関ヶ原合戦は非常に単純な図式のように理解されています。しかし、これこそが関ヶ原合戦の本質をかえって曖昧なものにしているのです。
 この戦いは、家康と石田三成のどちらかが勝って天下を取るといった単純なトピックではありません。その実は、秀吉が作り上げた武家官位秩序がある程度効力を持っている状況下で、豊臣政権を構成する大名間の争いがあり、徳川方と反徳川方の主導権争いが高じて戦いに及んだものといえます。
 そこで今回は、「東軍」「西軍」という呼称について、例えば「家康方(軍)」「大坂方(軍)」というような言い方を提唱したいと思います。
 徳川幕府はさまざまな機会を通じて、「徳川家康が関ヶ原合戦で石田三成を倒して征夷大将軍となり幕府を開いた」という物語に練り上げていった背景があるのは重要な視点でしょう。我々が関ヶ原合戦を「天下分け目」の戦いと認識しているのは、そのバイアスの影響を受けた結果でもあります。
 九州における関ヶ原の戦いも同様で、「東軍」「西軍」と単純に分類されるものではありません。例えば、細川氏の味方として豊後国木付(杵築)城に加勢し、「東軍」として分類されている加藤清正についても、その意図は検討の余地が多くあります。史料を見ると、自らの勢力と権益拡大のために慎重に状勢を見極めていたと考えられます。
 そこで、今回の記念シンポジウムでは、後の時代に「東軍」「西軍」と呼称された諸大名の行動原理を検証し、あわせて九州の諸将の動向も具体的に明らかにすることを目的として、内容を深めていきたいと考えています。

令和5年10月29日

九州文化財研究所
研究部長 花岡 興史

<主催者挨拶>

<来賓挨拶>




<基調講演1>

「関ヶ原」の戦いと九州

九州大学大学院 比較社会文化研究院 教授 中野 等
 福岡県生まれ。九州大学大学院中退、博士(文学)。柳川古文書館学芸員を経て現職。専門は中近世移行期で、戦国時代から江戸時代の前期を対象としており多くの著作を持つ。豊臣秀吉、黒田長政や立花宗茂などの研究成果を著している。





<基調講演2>

美濃国関ヶ原の戦いの真相と大名たちの行動原理

株式会社 歴史と文化の研究所 代表取締役 渡邊 大門
 1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。





<パネルディスカッション>

関ヶ原の合戦と九州の大名 どうする九州!?

【パネリスト】
九州大学大学院 比較社会文化研究院 教授 中野 等
 福岡県生まれ。九州大学大学院中退、博士(文学)。柳川古文書館学芸員を経て現職。専門は中近世移行期で、戦国時代から江戸時代の前期を対象としており多くの著作を持つ。豊臣秀吉、黒田長政や立花宗茂などの研究成果を著している。

株式会社 歴史と文化の研究所 代表取締役 渡邊 大門
 1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。

別府大学 教授 白峰 旬
 三重県生まれ。上智大学大学院博士前期課程修了。名古屋大学にて博士(歴史学)の学位を所得。2003年より別府大学助教授、2009年より同大学教授。近世城郭の研究からはじまり、現在は関ヶ原合戦の研究において新たな指摘を多数行っている。

福岡大学 准教授 山田 貴司
 福岡市生まれ。福岡大学大学院博士課程満期退学。博士(文学)。熊本県立美術館学芸員を経て、現職。

【コーディネーター】
九州文化財研究所 研究部長 花岡 興史
 熊本市生まれ。九州大学大学院博士課程修了。博士(比較社会文化)。
 高校教員、熊本県立大学非常勤講師、国立熊本高専講師、経済産業省専門委員、九州大学比較社会文化研究院学術研究者などを歴任。
 最近の研究成果は、豊臣秀吉文書の発見と、それにより断絶したと言われていた宗像大社(世界遺産)大宮司家の子孫の存在を証明した。